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江戸城から皇居へ

すでに大久保利通は正月下旬の時点で、京都には旧弊が多いとして大阪遷都論を政府へ提出し、木戸もこれに強く賛同している。これには公家などから反対が多く、結局大阪行幸の実行に留まったが、大久保・木戸らの間で遷都論は燻り続けていた。そんな中、江戸城が無血で新政府の管轄に入ったことは、遷都先として江戸が急浮上することに繋がった。

9月8日、年号が明治と改元されると、同月20日明治天皇が東京(7月に江戸から改称)行幸に出発し、10月13日に江戸城に到着。同時に名を「東京城」と改められ、東幸の際の皇居と定められた。幕府のシンボルであった江戸城に天皇が入ることで、天皇が皇国一体・東西同視のもと自ら政を決することを宣言するデモンストレーションともなった。この後、再度の東幸が行われるとともに、首都機能が京都から東京へ次々と移転。事実上東京が首都と見なされるようになり、東京城はやがて「宮城」「皇居」と呼ばれるようになったのである。

当時、人口100万人を超える世界最大規模の都市であった江戸とその住民を戦火に巻き込まずにすんだことは、江戸開城の最大の成果であった。勝は後に西郷を「江戸の大恩人」と讃えている。また、江戸開城は一連の戊辰戦争の流れの中で、それまで日本の支配者であった徳川家が、新時代の支配者たるべき明治新政府に対して完全降伏するという象徴的な事件であり、日本統治の正統性が徳川幕府から天皇を中心とする朝廷に移ったことも意味した。諸外国の立場もこれ以降、局外中立を保ちながらも、新政府側へ徐々にシフトしていく。以後の戦いは、新政府軍の鎮撫とそれに抵抗する東北諸藩という構図で語られることが多くなる。また江戸時代に事実上日本の首都機能を担った江戸という財産が、ほぼ無傷で新政府の傘下に接収されたことは、新国家の建設に向けて邁進しつつあった新政府にとっては、大きなメリットになったと言える。
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その一方で、無血開城という事実が一人歩きし、内外に戊辰戦争全体が最低限の流血で乗り越えられたといういわば虚像をも産むことになる。しかし江戸開城自体は、戊辰戦争史全体の中では序盤に位置する事件であり、それ以後の長岡・会津・箱館まで続く一連の内戦は、むしろこれ以降いっそう激化していったのであり、決して内戦の流血自体が少なく済んだわけではない。江戸城という精神的支柱を失った幕臣たちの中にも、榎本の艦隊とともに北上し、戊辰戦争を戦い続ける者たちも少なくなかった。

江戸城が無傷で開城したことは半ば予想されたこととはいえ、新政府の主要士族メンバーにとっては拍子抜けでもあった。なぜなら、以前より軍事的衝突を回避しようとしていた松平春嶽ら列侯会議派が常に政府の主導権の巻き返しを図ろうとしていたうえ、にわか仕立ての新政府軍はその実、統一日本国の軍隊ではあり得ず、事実上諸藩の緩やかな連合体に過ぎなかったため、諸藩の結束を高めるためには強力な敵を打倒するという目的を必要としていたからである。そこで諸藩の団結強化のため、江戸城に代わる新たな犠牲として想定されたのは、先の降伏条件でも問罪の対象として名指しされた松平容保の会津藩(および弟の松平定敬)であり、また去就を明らかにしていなかった東北諸藩であった。実際、徳川慶喜に対する処分にはそれほど強硬ではなかった木戸孝允も、大久保利通に対して会津藩を討伐しなくては新政府は成り立たないと述べており[52]、大久保も賛同している[53]。

また、江戸城とともに従来の幕府の統治機構である幕藩体制がほぼ明治政府に継承されたことは、強力な政府の下に富国強兵を図り、欧米列強に対抗しうる中央集権的な国家を形成しようとしていた新政府にとっては、旧弊を温存することにもなりうる諸刃の剣であった。結局のところ近代国家を建設するためには、各地を支配する藩(大名)の解体が不可避であり、いったん藩地と人民を朝廷に返還する手続きを取ったのち(版籍奉還)、さらに最終的には幕藩体制自体を完全解体する廃藩置県というもう一つの革命(こちらの革命は正真正銘無血で行われた)を必要としたのである。

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2009年05月30日 13:42に投稿されたエントリーのページです。

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